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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)871号 判決

控訴人 石橋龍美

右同 石橋邦子

右両名訴訟代理人弁護士 上野忠義

被控訴人 千葉県

右代表者知事 川上紀一

右訴訟代理人弁護士 出射義夫

右同 松尾巌

右指定代理人事務吏員 鶴岡幸七

〈ほか二名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人石橋龍美、同石橋邦子に対し各金四〇一万七二四〇円及びこれに対する昭和四七年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人らは次のとおり述べた。

仮に本件池沼が公の営造物又は土地の工作物に該らないとしても、本件事故は本件池沼を管理していた千葉県総務部三須管財課長の過失によって起ったものであるから、被控訴人は民法第七一五条の使用者責任を負うものである。

本件池沼は、面積二五〇平方メートルの楕円形で、水深一・八メートル位であり、排水、雨水、捨てごみなどで汚濁しており、沼の周辺は残土が捨てられていた。沼は、公道に面した空地内にあり、公道と接近しており、その縁を道が通っており、公衆が自由に接近できる状態であったが、道路と沼地の間には垣根、囲いはなく、沼にも囲いはなく、また、危険の警告もなかった。

本件池沼の周囲には分譲団地ができてとみに人口が増加し、沼の側の公道の人通りはかなり多くなり、通学通勤にも利用されていた。沼には小中学生がよく遊びに来、この沼は危険だと周囲の人から認識されており、本件事故直前にもこの沼で中学生がいかだ遊びをしていた。

右のような本件池沼の状況にかんがみ、これを管理する管財課長としては、沼の危険を認識し、事故を未然に防止するため、沼を埋めるか、沼を囲うか、又は沼地自体を囲うかし、かつ、立札などで危険だから立ち入らないよう警告をなすべきであった。

ところが、管財課長は、危険の存在さえも認識しなかったものと思われ、何ら右のような措置をとらなかった過失がある。

二  被控訴人は次のとおり述べた。

本件事故が管財課長の過失によって生じたものであることは争う。

本件池沼の大きさ、深さ、沼水が汚濁していたこと、沼の周囲に残土が捨てられていたこと、沼が公道に接した空地内にあったこと、公道から沼に自由に接近できる状態であったこと、及び沼の周囲に囲障がなかったことは認める。ただし、警告の立札は立っていた。

本件池沼の周囲に各種の分譲団地ができ、事故前とみに周辺の人口が増加したこと、沼の側の公道の人通りが多くなり、通学・通勤にも利用されていたこと、及び、この沼が危険であると周囲の人から認識されていたことは、いずれも争う。沼の周辺に小中学生がよく遊びに来ていたこと、及び、本件事故直前右沼で中学生がいかだ遊びをしていたことは、知らない。

三  ≪証拠関係省略≫

理由

一  当裁判所は、本件池沼を含む土地が公の営造物又は土地の工作物であり、その管理に瑕疵があったことを前提とする控訴人らの本訴請求は理由がないと判断する。その理由は、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。すなわち、本件池沼は被控訴人が取得する以前から天然に発生存在したものであり、また、一般公衆に使用させないし利便を与えるものではなく、したがって、公の営造物でもなく、また、土地の工作物でもない。

二  そこで、千葉県総務部管財課長の過失による被控訴人千葉県の使用者責任の存否について判断する。

本件池沼は、面積二五〇平方メートルの楕円形で、水深約一・八メートルであり、排水、雨水、捨てごみなどで汚濁しており、沼の周辺は残土が捨てられていたこと、沼が公道に接した空地内にあり、公道から沼に自由に接近できる状態で、沼の周囲に囲障がなかったことは、当事者間に争いがない。本件池沼は、原審認定のとおり、新興住宅地の外れに位置しており、千草台小学校から五〇〇メートルで、小中学生の行動範囲内にあり、その付近で遊ぶ子供達はいたが、そばにある農道は通学路にはあたっておらず、どちらかというと、へんぴな所で、なかなか人の行かないところであった。

≪証拠省略≫によれば、次のとおり認められ(る。)≪証拠判断省略≫

本件池沼を含む約三六、〇〇〇平方米の土地は小山があったり雑草が生えたりする荒蕪地の状態であった。

本件池沼及びその周辺にはごみ、廃材、コンクリート、テレビの廃品等が捨てられ、池の中には附近の住宅の下水、ガソリンスタンドの油の廃液が流入し、池は黒くヘドロのような感じを呈し、異臭を放っていた。本件事故当時右土地の附近には宅地が造成されていたが、住宅の数は未だ多くはなかった。控訴人方及びその近辺の家の者は通勤・通学に池のそばの道を利用することはなく別の道を通っており、当時池のそばの道の状態がよくなかったこともあって通学に利用する者は若干名に過ぎず、男の通行人は見られたが一般にあまり人の行かないところであった。池の周辺に子供達が遊びに来ることがあったが、その数も少くかぞえる程度であった。また、子供達が廃材や廃品を利用して池のなかで遊ぶことがあったが、これに適当な廃材や廃品は少く、このように池のなかで子供達が遊ぶことは稀であった。本件事故の前日にも子供達がいかだに乗って遊んでいたが、これは数日前に中学生が作ったいかだが残されていたためである。また、学校からも本件池沼で遊ぶことは禁止されていた。本件池沼ではこれまで事故はなかった。本件池沼が危険であるとの注意や苦情が被控訴人に出されたことはなかった。

前記のとおり、本件池沼及びその周辺にはごみ、廃材、コンクリート、テレビ等の廃品が捨てられ、池は黒くヘドロのような感じを呈し、異臭を放っていた状況であり、沼のそばの道路は通常の通勤通学路でもなかったのであって、本件池沼の周辺で遊ぶ子供もかぞえる程度であり、ことに池のなかで遊ぶ子供は極めて少かったわけである。

ところで、本件池沼の水深が約一・八米あるのであるから、その面積が二五〇平方米あることも考えれば、小学生など低い年令の子供達が池のなかで遊ぶと事故が発生し得るわけである。しかし、このような池沼を所有している者が、その池沼に遊びに来る子供達のために保護の措置をとらなければならないというためには、遊びに来る子供達が相当あって、しかもその池沼のなかに入って遊ぶ者の数も少くなく、したがって、事故発生の可能性があると認められる場合でなければならないと解すべきである。事故発生の可能性がないのに保護の措置を求めることは池沼の所有者に不要の出費を強いるものであって無益である。勿論現実の事故は可能性というような確率とは関係なく生ずるわけであるが、かゝる不慮の事故については本人の責に帰するほかはない。

控訴人は、本件池沼の存在する土地には多くの人が接近し本件池沼にも子供達が屡屡遊びに来ると主張するが、前記のところに反し採用できない。かえって、前記認定のとおり本件池沼のなかで遊ぶ子供達は極めて少かったのであるから、事故発生の可能性は余りなかったとみるのが相当である。したがって、被控訴人が子供達に対する保護措置をなんら講じていなくても責任はない。

また、池沼の所有者が公共団体であると、私人である場合とでその管理義務に差異のあるべき筈はない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の本件事故についての使用者責任は認められない。

以上によれば、控訴人らの本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は正当であるから、本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九五条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺一雄 裁判官 宍戸清七 大前和俊)

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